牧師からの手紙 〜「ビーコン」ニュースレターより〜
Vol. 8, No.1-3, Summer/Fall/Winter 2006/2007
Vol. 7, No.3-4, Winter/Spring 2005/2006
Vol. 6, No.4, Spring 2005
Vol. 6, No. 3, Winter 2004/2005
Vol. 6, No. 2, Fall 2004

Vol. 6, No. 1, Summer 2004
ボストン日本語キリスト教会のケン・ミルハウス牧師、夫人のデビー、そして長女のクロエちゃん、次女のフィベちゃんです。 Milhous family photo album

ミルハウス牧師へのご質問等のある方はボストン日本語キリスト教会までご連絡下さい。

 

Vol. 8 No. 1-3, Summer/Fall/Winter 2007

BJCCの愛する兄姉へ、

主の御名をほめたたえます。

皆様お元気でしょうか?BJCCは神様の恵みの中で続けて支えられています。皆様の祈りを感謝しています。

 さて、11月には私にとってはとても悲惨な出来事がありました。それは私のコンピューターが突然クラッシュしたことです。結局、ハードドライブを回復させることができませんでした。感謝なことに、教会のほとんどのデーターはバックアップしてありましたので、失いませんでした。しかし、一番大きな被害は私のメールの記録です。2003年半ばからのメールやメールアドレスは全て失ってしまいました。また、返事をし損ねた秋のメールも全部失いました(秋に私あてのメールを送り、返事がなかった方々はその被害者です。どうか再び送って下さい)。今回のコンピューター問題を通して聖書の言葉を思い出す機会が与えられました。イザヤ書 40:8にはこう書かれてあります「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」また、マタイ 6:19-20a でイエス様はこう語りました「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。」この世で生活をするには地上のものは必要です。しかし、それを頼りにしてしまうといずれは問題がおこり、だめになってしまいます。コンピューターを頼りにしてしまうといつかはクラッシュやフリーズをして、大切な情報を失ってしまいます。他の地上のものも同じですね。やはり、私たちは地上のあらゆるものを知恵をもって使いながらも、永遠に残る神様の言葉を頼りにしながら永遠に価値がある神の国(マタイの箇所の「天」)を第一にする生活を心掛ける必要があります。ルカの福音書 12章にイエス様の例え話の一つが記録されています。それは畑が豊作だった金持ちの話です。彼はその収穫をためておけるように、もっと大きな倉を建てることにして、これから自分が安心して楽しい生活をすることを心掛けました。しかし、神様がその晩に彼のたましいを取り去ることになります。その例え話に関するイエス様の結びの言葉はこれです。「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ 12:21) どうか、私たちが日々の生活の中でいつも神様の前では富むような生活をおくることができますように。今回のコンピューターの苦い出来事を通して神様がこの大切なリマインダーを下さったことを感謝しています。


Vol. 7 No. 3-4, Winter/Spring 2005/2006

愛する兄姉へ、

主の御名を崇めます。皆様いかがお過ごしでしょうか?私たちは忙しくしていながら、神様の恵みの中で元気に歩んでいます。皆様も主の恵みを体験していることをお祈りしています。

さて、前回お知らせしましたように、BJCCは今年度のテーマをリバイバル(新しくされ変えられること)としています。その一角として、「人生を導く5つの目的」の学びを秋に行いました。それに続いて、この冬から春に掛けて新しい学びが行われています。それはジェリー・シェヴランド師が書かれた「Fire & Reign」のワークブックに基づいたものです。 シェヴランド師はBGC (Baptist General Conference) のプレジデントで、去年のBJCCの10周年の時にも説教者として来てくださいました。これは使徒の働きの1章から7章までの学びで、秋と同じように一週間に一度の小グループを行っています。また、日曜日には、関連している使徒の働きからの説教シリーズを行っています。小グループは二つ行われていて、合計12人の方が参加しています。

"Fire & Reign"とは何を表しているでしょうか?"Fire" はもちろん「火」もしくは「炎」です。聖書では"Fire" は基本的に神様のご臨在を表す言葉で、新約聖書ではとくに聖霊の働きを火や炎として描いています。すべてのクリスチャンはイエス様を救い主として信じた時から聖霊を受けています。私たちの心の中に住んで下さっています。聖霊の"Fire"としての働きは、私たちに神様のご臨在を感じさせ、私たちが神のみ業に参加出来るように私たちをきよめて力付けて下さいます。私たちがもっと積極的に聖霊の働きに敏感になろうとすれば、聖霊のきよめと力付けを通して神様が望まれているような生活を送ることができ、神のみ業に更に参加していくことが可能になります。ですので、この学びにおいての"Fire" は、ガラテヤ人への手紙でパウロが書いたような生活「御霊によって歩みなさい」(ガラテヤ5:16)をさしています。"Reign" の方は「王座」「統治」「支配」等と訳すことができます。パウロはコロサイ人への手紙で私たちの救いの体験をこのように書いています「神は私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」(コロサイ1:13)。"Reign" は、私たちがこのキリストの支配の下で生活をしながら、王であられるイエス・キリストに仕えることを意識して歩むようにと語っています。また、キリストに仕える中での私たちの一つの大きな役目は、キリストの統治が広がっていき、イエス様を信じる方々が更におこされるように歩むことです。「主の祈り」の中で「御国が来ますように」と私たちが祈るのも、本当はこの神の国が広がっていくことを祈っているのです。使徒の働きの最初の部分に記録されている初代教会の姿は、まさしく聖霊のきよめと力付けを通して、王であられるキリストの証し人として、その王座(神の国)が広がるための神のみ業に参加したクリスチャンたちの群れです。"Fire & Reign"は、私たちが個人としてそして教会として新たにされ、初代教会と同じように、キリストの支配の下で聖霊のきよめと力を受けて、神の国が広がっていくプロセスに参加することを教えています。どうか、BJCCが更にこのような教会になれますようにお祈り下さい。


Vol. 6, No.4, Spring 2005

愛する兄姉へ、

 主のみ名をほめたたえます。皆様お元気ですか。私たちはとても忙しくしていますが主の恵みを体験しています。 実は私は2 月末から腰痛で苦しんでいます。きっかけはフィべをお風呂に入れていた時です。私の主治医には行ったのですが、最初はあまり相手にされなくて、ほとんど効き目がない薬を少しもらっただけでした。痛みは続きました。そして、3月のある日にはとうとうベッドから起き上がれなくなってしまい、大変な体験をしました。その時には救急病棟に行き、そこの医者からとても依存性の高い薬を少しいただきました( それで、少しは楽になりました) が、それ以外は何も出来ないと言われました。その医者にカイロプラクターのことを聞いたところ「効果があると言う人もいるけれど、医者としてはあまりすすめられない」と言われました。私の状態は本当にひどかったので、教会の方に紹介されていたカイロプラクターに行くことにしました。そしてカイロプラクターに医者の言葉について聞いてみたら「医者は人間の身体は分かっていない。原因を考えずに問題の症状を薬でカバーするか、手術するか、その二つのことしか考えない」と言われました。私がその後思ったことは、両者は自分の視点からしか相手を見ていないということです。救急病棟の医者はカイロプラクターがやっていることを「医学」と認めていないので、最初から怪んでいるように思えます。また、カイロプラクターの方も医者は分かっていないとの視点から状況を見ているように思えます。両者は自分のアジェンダをもっていて、それによって物事を判断しているように思えます。しかし、真実はその間のどこかにあるのではないかと思いました。

 実は3 月の出来事に基づいて私の主治医は私のMRI 検査を予約しました。その結果私の腰痛はただ筋肉の問題だけではないことが分かり、彼は私に理学療法を薦めました。理学療法士に医者とカイロプラクター両者の発想等について聞いてみたところ、彼女はとてもバランスがとれたことを言ってくれました・・・腰の痛みの為には医学的な原因を探る為の検査などが必要ですし、痛みが本当にひどい時は少し薬があるのも悪くはないし、場合によっては本当に手術が必要な時もあるが、それと同時にカイロプラクターを通して痛みの原因とつながっている背中の状態を正しくすることもよい。また、今後問題が悪化しないように腰や背中の筋肉を鍛える為に理学療法も助けになるとのことでした。彼女の状況の見方はとても良かったと思います。( ちなみに私はレギュラーでカイロプラクターや理学療法に通いましたので、腰はまだ痛みがあるものの、今は大分良くなっています。)

 この出来事で思ったのですが、私たちは場合によっては聖書の教えに対する考え方がこの両者のようではないでしょうか?自分のアジェンダや考え方を持ち、それに基づいて聖書を読もうとしてしまいます。そのような時には聖書を通して神様が語ろうとしていることをオープンに聞こうとするバランスを失ってしまっていますので、聖書の教えを正しく理解することも、それに聞き従うことも出来なくなってしまいます。聖書が教えていることを自分のアジェンダで決めつけてしまうこともあるかもしれません。そうなってしまうと神様の教えに従おうとするどころか、場合によっては正反対のことを神様の教えにしてしまうかもしれません。これはやはり違うと思います。私たちは聖書を読み、学ぶ時には神様が教えようとしていることを理解し受け入れられるように、自分のアジェンダを横におき、心を開いて神様の言葉を聞けるようになる必要があると思います。どうか私たちBJCC と関わっている者がもっとみ言葉を聞き、それに従えるようになって行けますように。


Vol. 6, No.3, Winter 2004/2005

愛する兄姉へ、

 主のみ名を崇めます。皆様お元気ですか。私たちは主の恵みのもとで支えられています。秋には家族で日本に行くことが出来、10月30日に東京で行われた同窓会で60人の同窓の皆様と共に時間を過ごすことが出来、とても感謝しています。本当に詩篇.133:1に書かれていますように、兄弟姉妹と共に会うことには主からの楽しさがあることを体験しました。同窓会での良き交わりや励ましを感謝しています。本当はもっと時間を過ごし、個人個人とお話ししたかったですし、もちろんお会い出来なかった方々も沢山ありましたが、与えられた時を覚え、感謝をもって主をほめたたえています。

 日本から戻って来て、私はすごく忙しい数カ月を送って来ました。ボストンに戻った数日後には、会議出席のため一家でコロラドに行きました。また、次の週には私は別の会議のためフロリダに行きました。その後はバプテスマ式、感謝祭、結婚式、アドベント、クリスマス、元旦等、相次いでイベントが多かったです。また、感謝祭頃に私は風邪をひき、フィべは中耳炎になりました。普段のスケジュールに加えてこれらのことがありましたから、この数カ月の間、教会の働き、教会所属団体での奉仕、そして家族との時間のバランスを中々うまく取ることが出来ませんでした。あまり余裕がなかったのです。そんな状況の中で、最近の金曜日の聖書研究会で学んだ箇所の中にハッとさせられたフレーズがありました。ダビデを追い掛けて殺そうとしているサウロ王に対してダビデはこう語りました。「イスラエルの王が、一匹の蚤をねらって出て来られた。」(1サムエル.26:20b) ダビデが言おうとしていたのは、イスラエルの王であるサウロが、一匹の蚤をねらうような、くだらない無駄なことに時間とエネルギーをたくさん使っているのは愚かだということです。

 何故、この言葉が私をハッとさせたかと言うと、この数か月の間、エキストラなことが沢山あって、色々と忙しくしていましたが、正直になって考えて見ると、実は私にはそれらを成し遂げる時間が与えられていたのも事実であって、本当に余裕がなかった理由は、ほぼ毎日必要ない、無駄な、蚤をねらうようなくだらないことにも時間を掛けていたからなのです。ふりかえって見ると、たくさんの蚤をねらっていたように思えます。それによって優先順位がくるってしまい、本当に大切なことは余裕なしで必死にやっていた訳です。神様が私に望んでいることは、蚤をねらうような生活から離れ、神の国とその義を第一にする(マタイ6:33)生活を優先して、その視点から与えられた役目(教会で、所属団体内で、家族での)を果たすことです。私は学ばされました。そして悔い改めました。皆様はいかがでしょうか?蚤をねらうような生活を時として送っていませんか?もしかしたら、神様は私たち一人一人にそのような生活から離れることを示されているかもしれません。どうか、私たちが日々の生活の中でいつも神様の優先順位の視点から与えられた役目を果たせますように....。


Vol. 6., No. 2, Fall 2004

愛する兄姉へ、

 主の御名をほめたたえます。皆様お元気ですか。私たちは忙しくしていますが、支えられ祝福されています。私が今これを書いているのは10月の半ばで、一家で日本に行く前の週です。10月30日に東京で行われる同窓会で多くの皆様と再会出来ることを楽しみにしているところです。

 それで、今回のレターは同窓の皆様のことについて少し書こうと思います。私たちは同窓の皆様のためによく祈っています。そしてその祈りの中でとくに私たちが熱心に祈るのは皆様の教会生活のことです。BJCCで(願わくは)よい教会生活を体験された皆様が、その後日本や他の場所に移ってから、どのような教会生活を送っているか、私たちはいつも心にとめて祈っています。多くの面で似ている所はあっても、BJCCとまったく同じ教会はどこにもありません。ですから、他の場に移った先の教会に行っても、BJCCとは違う部分が目立ち、それによって行き辛くなることはあるでしょう。または、別の場に移ったら、生活のペースが変わり、余裕がなくなり、忙しすぎて教会に行くのが難しくなることもあるでしょう。他にも教会に行かなくなる理由はあるでしょう。私たちはそのような現実があることは知っていますし、皆様の中にはそのような体験をされている方もいるのではないかと思いますので、同窓の皆様の教会生活の為に祈っています。

 このことに関して、最近私はとてもピンと来た例を読みました。私たち一家はほぼ毎夏キャンプに行きます。キャンプの一つの楽しみはキャンプファイアーです。キャンプでの夕方の時に、キャンプファイヤーを囲んで賛美したり、会話をしたり、また、ただその温かさを楽しんだりするのは欠かせないものです。キャンプファイヤーは放っておくといずれは火が消えますが、残り火は何時間もオレンジ色のままで燃え続けます。でも、その燃えさしから一つを取り出して火がない場所に動かしてしまうと、どうなるでしょうか。その小さな燃えさしはだんだんオレンジ色を失って、あまり時間が経たない内に黒くなり、消えます。他の燃えさしと一緒にしておけば、まだまだ燃え続けていたものが、離れてしまうと消える訳です。教会生活も同じではないでしょうか。教会に行かなくなってしまうことは、霊的なサポートシステムから離れることになり、霊的に燃えていた部分がだんだん衰えてきて、いずれは消えていってしまいます。聖書ではこう書かれています。「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」(へブル 10:25) 聖書は、教会を通して他のクリスチャン等と集まり、互いに励まし合うことを常に呼び掛けています。教会生活はとても大切です。他の教会がBJCCとは違っていても、自分が忙しくても、他の様々な理由があっても、教会に行き、他のクリスチャンの方々と共に神様を礼拝し、神様に仕えて、互いに交わりをもち、互いに励まし合うことは霊的な生活レベルでは欠かせないものです。このサポートシステムがなければ、だんだん霊的に冷めてしまい、いずれは消えていきます。BJCCの同窓の皆様がいつまでも燃え続けているように、私たちは皆様の教会生活のために熱心に祈っています。どうか、皆様もBJCCの為に祈って下されば幸いです。


Vol. 6, No. 1, Summer 2004

愛する兄姉へ、

 主の御名を崇めます。皆様はいかがお過ごしでしょうか。私たちは元気にしています。教会や私たち一家も神様の祝福を大きく体験しています。 さて、私たちミルハウス家に与えられた神様の大きな祝福を皆様に報告します。5月5日に次女、フィベ・恵・ミルハウス(Phoebe Megumi Milhous)が無事に生まれました。私たちは一家で本当に神様に感謝しています。デビーと私はクロエが生まれた後からずっと2人目の子供を願っていましたが、10年間も与えられていませんでしたので、神様は満足しなさいと仰っているように感じてきて、もうギブアップしていました。ですからフィベの誕生は本当に神様の恵みとしか言えないと思います。

 この1年間の私たち家族が体験した変化は大きいです。それを最近とくに実感しました。6月の末にBaptist General Conference (BGC) の年次総会に出席する為に家族3人でカリフォルニアのフレズノ市に行きました。3人というのは私とデビーとフィべです。クロエは今年の夏、日本の私の両親の家で2ヵ月近く過ごしています。総会には1年ぶりに会う方が多く、私たちの家族のニュースをまだ聞いていなかった方が沢山いました。去年は総会に小学校5年生の女の子を連れて行った私たちが、今年は赤ちゃんを乗せたベビーカーを押していたわけです。私たちは何人かをびっくりさせてしまいました。このように、私たちの家族はこの1年の間に3人から4人へと大きく変わりました。そして、生活も変わりました。私たちは赤ちゃんをケアすることの大変さを忘れていました。デビーと私の睡眠スケジュールは相当フィべによって左右されています。また、授乳しているデビーの日々のスケジュールはほぼ完全にフィべによって決められています。私たちの毎日は、その時になるまではどんなものになるか分らない時があります。赤ちゃんの誕生は本当に喜ばしいことですが、それについてくる睡眠不足、ストレス、不安など色々なことをも私たちは体験しています。そのような状況に対して、神様からの大切なみ言葉が与えられています。ボストン日本語キリスト教会(BJCC)では4月から旧約聖書の最後の書、マラキ書の説教シリーズを行っています。そこに神様の素晴らしい言葉が与えられています。「主であるわたしは変わることがない。」(マラキ3:6a)マラキ書自体からこの言葉を考えれば、まわりでどんな事がおきていて、どんな変化があっても神様ご自身、主の愛、偉大さ、誠実さ(契約の約束は絶対に果たすこと)は変わらないことです。変化が多いこの世の中で、神様は不変なお方です。だから、頼りに出来ます。デビーと私は、フィベを与えてくださった素晴らしい神様が変わることがないお方であることを知っていますから、フィべを育てるために必要な知恵、力、そして支えも与えて下さる事を知っていますし、すでに体験しています。変わることがない主をほめたたえます!

 皆様も時として沢山の変化を体験し、不安などが湧いてくることもあるかと思います。そのような時にはこのマラキ書の言葉を覚え、唯一頼れるお方、変わることがない神様に、拠り頼んでみて下さい。私たちの主は変わることがないのです。

 BJCCと変化を多く体験している私たち一家の為にお祈り下されば幸いです。私たちも皆様のことを覚えてお祈りしています。